Booklog - 記号と再帰 新装版 記号論の形式・プログラムの必然

田中久美子

第 1 章。記号は意味を担う媒体である。記号はそれ自身が再帰性を持つ。自然言語など自然発生的な記号と違いプログラミング言語のような人工的な記号では再帰の有意味・無意味の境界を何処に置くかが問題となる。 本書では記号論の観点からプログラミング言語を捉え直し、浮かび上がる本質的な性質から、一般の記号の原理・性質を論じる。ソシュールとパースに始まる人文系の記号論と形式的な計算機科学の視点の橋渡し。 元来記号論はその人間から切り離されずにいたが、プログラミング言語は人間の脳に解釈系が外在する。よって記号論をこの様な形式言語に適用することは、記号論の形式化・基礎の確率に役立つと思われる。 またプログラミング言語に記号論を適用することは、記号論の昔からある考え方を以て、プログラミング言語が何故必然的に現状の姿をしているかを再発見することにもつながる。 記号論の 3 つの側面、記号とは何かという問いに対する、記号のモデルに関するもの・種類に関するもの・系に関するものの、を反映して 3 部構成。

第 2 章。プログラミング言語の記号の整理。関数型言語とオブジェクト指向言語の例での比較。 プログラミング言語の構成要素。型。データや関数の定義と使用の入れ子でプログラムが定義される。文と式。型とクラス。クラスの構成子と継承。 リテラル・演算子・予約後・識別子。これらを本書における情報記号と呼ぶ。 識別子の解釈層。ハードウェアの層ではアドレスや実際の値。プログラミング言語の層では識別子の定義と使用の層、これは多層構造でありさらには型とアドレスの層も含む。自然言語の層では人向けに書かれたコメント。 識別子の解釈層を定義と使用に置くということは、記号の解釈を記号の系の中だけで捉える汎記号主義につながる。人の認識が記号であるという考えはパース、ソシュール、聖アウグスティヌスにも見られる。

壮大な感じや。興味深く、初回は多めに読んでしまったけど、ページ数に対し中々重い内容なので今後はゆっくり読もう。シニフィエとか載ってるようなのでワンス・アポン・アン・アルゴリズムの後で読むにはうってつけの本やな。積んでた本同士が繋がっていくのは良いね。

2026-08-17, read count: 1, page: i ~ vi, 1 ~ 28, pages read: 34

第 3 章。二元論と三元論。二元論は古くは聖アウグスティヌスの時代に見られ、意味からラベルを想起させると考えた。ソシュールが転回して以降は、記号はシニフィアンとシニフィエで構成され、シニフィアンは指し示すもの(ラベル相当だが後付できるものではない)・シニフィエが意味のような指し示されるものとし、ラベルが意味を規定すると考える。 三元論は古くはギリシャ時代プラトンまで遡り、実世界の対象がイデア(本質)を連想させラベルを想起させると考えた。パースが転回して以降の三元論では、ラベル相当の表意体が、イデア相当の解釈項を媒介とし、対象を想起させると考える。 哲学者・言語学者の間で微妙にモデルは異なるが、ノスがいうように構成要素の数だけで見れば、二元論か三元論、あるいは亜種に分類できるという。しかし二元論と三元論の対応関係はノス曰く「バビロンの混乱状態」にあり、突き詰められていない。本書でソシュールとパースのモデルをそれぞれの代表として扱うが、それは両者が現代記号学の父であることに因る。 ノスによると、ソシュールの二元論は三元論のうち一要素を無視しているという。具体的には対象(ノスの思想では参照)を無視しているとする。 パースの思想は、対象を概念としての直接対象と現実世界≒心の外に外在する実体としての動的対象に分ける。モデルに含まれるのは心の中にある直接対象の方。同様にソシュールも記号を心的なものと考えていたことを鑑みると、パースの直接対象とシニフィエが対応する可能性が考えられ得る。 また解釈項はソシュールの思想においては記号過程としてモデルに含まず、モデル外にある記号同士の全体論的価値として現れる、というのが本書の仮説。このように対応付けられた二元論・三元論を情報記号を通して確認する。 理解が追いつかなくて読める頁数少なく、実際に検証する前できょうは終わり。面白い。いい本だこれ。

2026-08-18, read count: 1, page: 29 ~ 42, pages read: 14

第 3 章。 2 つのパラダイムと記号モデル。プログラムの識別子はデータか関数を表現する二元的なものとデータと関数の両方を表現する三元的なものに分けられる。 関数型プログラミング(FP)は全てが二元的識別子であり関数とデータすらも他の記号に働きかけるものと捉える。 オブジェクト指向プログラミング(OOP)は、オブジェクトは計算対象に関連するものをひとまとめに扱い、記号とそれが表す内容、また記号に働きかける記号も加えて三元的に捉える。 FP は名前がシニフィアン相当、内容がシニフィエ相当であると捉えられる。名前がデータや計算本体を指す。記号が使われることに関する記述は記号に付帯せず外在する。記号のモデルに外在する使用が識別子に意味を与える。 FP をソシュールの思想における差異に沿って見ると、どう使われるかによって別の意味を持ちうることからも、有意味である。 OOP は名前が表意体・データ構造(クラス)が概念を表す直接対象・関数(メソッド)が解釈項に相当すると捉えられる。 三元的識別子では識別子に意味を与えうるものは全て定義に含もうとするため、クラスの中に差異が現れる。そのため複数の識別子が関わる関数がある場合は全てを定義に含むことができないため、全てを三元的に記述できるわけでない。よって OOP には二元的・三元的識別子が混在する。 このように一方のモデルに現れるものはもう一方のモデルにも現れ、形式的に互換であるといえることがプログラム上の対応においては正当性がある。 以降、本書の新仮説に基づく議論をする際は、シニフィアン・表意体に相当する指示子、シニフィエ・直接対象に相当する内容、全体論的価値・解釈項に相当する使用、という語を使う。 これまでの内容を踏まえて記号の構成要素を整理すると、内容(what 意味論的なもの)と使用(how 実用的なもの)があり、記号とは semantics と pragmatics を表象する媒体であると言える。 なんとか 3 章読み切った。理解に頭を使うが楽しめてる気がする。最後の絵画の記号論的な解釈から次章へつなぐのもいいな。各章の主題の位置づけの地図もいい。

2026-08-19, read count: 1, page: 42 ~ 55, pages read: 14

第 4 章。画家による主題の解釈が表現される絵画のように、指示子・内容・使用が溶け合う契機を通して各構成要素の役割を考察する。 まずは構成要素が少ないソシュールの二元論。ソシュールはシニフィアンとシニフィエは不可分であるとするが、その関係は恣意的であり必然性はないとする。 情報記号では識別子は何でも良いという点において恣意的であるが、自然言語では社会的慣習により束縛されてもいるという一見矛盾した性質を持つ。 また恣意性にも絶対的・相対的な恣意性がある。さらには記号には関係性が織りなす差異しかないとする。ソシュール自身これらを逆説的であると観察する。 その逆説の解消を、社会的慣習に束縛されない情報記号において、構成要素がどのような場合に一体化するのか考えることで試みる(これはプログラム・ハードウェアに解釈層を置いた場合の話であり自然言語に於いては束縛される)。 記号の最も原初的な単位の関係を考えるにあたり、情報記号も最も原初的なラムダ計算で考える。 ラムダ計算のβ簡約は記号の置換であって、自然言語にも意味解釈を置換として捉えられる側面がある。これはラムダ計算が記号の原理を備えているからではないかという仮説。 きっとこの先、置換から自己言及・再帰に繋がってくんやろな。ワンス・アポン・アン・アルゴリズムで置換がでてきて良かった。 中々頁数を読むのが難しいが少しずつ進もう。

2026-08-20, read count: 1, page: 55 ~ 64, pages read: 10

第 4 章。どんな記号モデルでも記号の構成要素に分節と名前付与の機能が考えられている。 分節とは記号の単位を構成する≒意味を切り出すこと。ラムダ項は複数の記号の複合体として 1 つの単位でまとめることから、分節を担う単位であるといえる。 ソシュールの転回以前は、記号は実世界のもの(シニフィエ相当)に対するラベル(シニフィアン相当)であり機能は名前付与だけだった。ソシュールはシニフィアンに名前付与と分節の機能を持たせ、シニフィアンがシニフィエを分節する。 ラムダ項も名前付与と分節の機能を持つが、ラムダ項における名前付与は別の分節に行われるという違いがある(ソシュールの名前付与は分節する内容自身に行う)。 ソシュールは記号同士の関わりを差異・連辞(syntagm)として間接的に言及しているが、ラムダ項のβ簡約のような 2 つの記号を関連付けるための名前という観点は、二元論に基づく現代の記号モデルに於いても直接的に言及されない。 ラムダ項の名前は常に局所的で動的。二元論では大域的で静的で、有効範囲は関係のある人々や言語の異なり等で実際には存在するが、記号論の枠組みの中で意識されているとは言い難い。 ある分節が別の記号の複合から得られることは、記号の解釈をその記号系の中で考える汎記号主義の立場に相当する。 再帰的定義には、内容が定まるより先に記号が投機的に導入されなければならない。確定する前の自身を投機的に記号で表し、自身に言及(使用)することで自身の意味を分節することが再帰。 ソシュールが逆説的と言及したシニフィアンとシニフィエが不可分であるという性質は、再帰で顕著に成り立つ。また自然言語の多くは再帰的。 再帰的定義を導入せずとも不動点関数による自己適用としての再帰性は内在する。これは型なしラムダ計算の場合に限り、単純型付きラムダ計算では再帰的定義や型付きの場合の拡張が必要(のちの章で触れる)。 ラムダ項を並置した場合、二元論では第 1 のラムダ項の指示子と第 2 のラムダ項をあわせて記号の単位と見、三元論では第 1 第 2 のラムダ項をあわせて記号の単位と見る。 この 2 つは別のモデルであるが、再帰的な記号では使用と内容が不可分になり、二元論と三元論は等価なモデル。 再帰的な記号で使用が内容と融合するのはハーダーの意味論と実用論との関係を暗示する。使用が意味へと凝固する契機の 1 つは再帰であるというのが本書の 1 つの帰結。 ソシュールの「記号には差異しかない」という思想は、ラムダ項の意味的な同一性を一般には判定できないという性質にも対応して現れる。 プログラムが同一でないことを知る間接的な手法として、プログラムの入出力の差異を見ることができるが、これはソシュールの言明の 1 つの具現化のよう。 内容が濃くてめちゃ長メモになった。うまく理解できればもっと短くまとめられるんやろが、今はこれが精一杯。

2026-08-21, read count: 1, page: 64 ~ 82, pages read: 19

第 5 章。情報記号の何(what)「である」どう(how)「する」の記述に基づく関係構造について。 純粋に記号だけからなる汎記号主義的な情報記号の世界でも「である」「する」の対比があるのであれば、その本質は記号が備えているのではないかという仮説。 OOP では、対象のデータ構造に注目して記述すると「である」に基づく関係、関数に注目して記述すると「する」に基づく関係を構成する。 OOP の「である」に相当するのはクラス、「する」に相当するのは抽象データ型(あるいはインタフェース)。 クラス間の「である」関係は、 OOP では継承として表現される。 OOP と三元論の対応から、三元論でも同様に内容と使用に基づく「である」「する」の関係構造が考えられる。 本書では二元論はモデル内に内容しかないので、「である」に基づく関係のみが考えられる。 「である」「する」の対比が現れるのは、視点がモデルの内外にあるかの違いと考えられる。 パースは三元論の中でも内容が使用に先立って存在する視点を取っていると見られる。 ハイデッガーの「手元にある」(zuhanden)と「手前にある」(vorhanden)は「する」と「である」との対応が考えられ、使用が内容に先立つ視点を取っていると見られる。 内容・使用との対応を考えると、 再帰的な記号では「である」「する」の対比は消滅する。しかし人間の記号においては峻別が簡単でないからこそどちらの関係構造を採択するかが問題となる。その顕著な例がプログラミング。 以上が「である」「する」と三元論の対応の話。ちょっともやる。 「する」を導入する目的は再利用や複雑性の低減だけではなかろうし、FPにも abstract data type のような「する」に基づく抽象がある。「FP = 二元論、 OOP = 三元論」をここへ適用することで単純化が強くなっている印象。

2026-08-22, read count: 1, page: 83 ~ 106, pages read: 24

第 6 章。表現レベル。情報記号では識別子が指すものが型・アドレス・値と抽象レベルが異なる。 例えば、代入演算子の左右で抽象レベルが左辺はアドレスで右辺は値で異なる、多くの OOP でのコンストラクタがクラスと識別子を同じくする、等。 情報記号の曖昧性の解消は、文脈中でどのような識別子が使われるかに依り実用論的に行われる。それは例えば命令や演算子による。他にも値型と参照型の違いもある。 この指示の曖昧性≒複数の表現レベルは記号論では記号の分類として扱われる問題。 記号の種類は、二元論ではイェルムスレウがソシュールの思想を拡張して、三元論ではパース自身が形式化して行っている。 二元論と三元論の記号モデルの対応付けの仮説を踏まえ、情報記号に二元論・三元論の分類の適用を試みる。 きょうは第Ⅱ部の導入部だけ。まだ問題提起なので難しい話はない。

2026-08-23, read count: 1, page: 107 ~ 119, pages read: 13

第 6 章。イェルムスレウのグロセマティクス(glossematics = 本書では glossary(用語) + mathematics(数学))は記号を形式的に捉え、記号の関係や記号系を公理や原理により記述しようとした。 シニフィエとシニフィアンを表現(expression)(本書の指示子)と内容(content)としてソシュールの考えとは区別した。 直接指示記号と間接指示記号、後者は、指示子とそれが示す直接的な内容が、本来無関係な異なる内容を表す記号と結びつくことで、間接的に内容を表す。 メタ言語記号と対象言語記号、考察対象とする言語=対象言語の記号とそれを内容とするメタ言語記号。イェルムスレウはメタ言語記号を「科学的なもの」であると説明する。 二元論に関しては、メタ言語記号は型と値の関係に自然に適用できるが、間接指示記号については指示の曖昧性を起こすと考えられる。 パースの普遍的範疇(universal category)では全対象(項)を 3 つに分類し、単項の一次性・他の一項を参照する二次性・他の二項を参照する三次性に分解する。パースは記号は三次性の典型であると考えた。 記号と対象の関係で一次性の類似記号(icon)(対象の類似・性質)・二次性の指標記号(index)(対象との物理的・事実的関係、参照)・三次性の象徴記号(symbol)(概念)に分類した。 三元論に関しては、三次性が二次や一次として用いられるような高次の記号が低次の記号として利用される退化によると考えられる。 本書では、二元論・三元論の記号の分類を情報記号を介して対応付けると、類似記号は対象言語記号・間接指示記号、直接指示記号が指標記号、メタ言語記号が象徴記号に相当するとする。 指標記号が間接指示記号の内容を指すべきところ直接指示記号の内容を指す、象徴記号がメタ言語記号の内容を指すべきところ対象言語記号・間接指示記号の内容を指す、といった曖昧さが生じる。 本書では記号の分類について概観するには三元論が優れるとする。二元論では組合せができる点で柔軟な分類の枠組みを提供するように見えるが、二元論・三元論の対応を考えると三元論でも同様の説明ができるだろうということ。 モデルのシンプルさでは二元論がよく出来てるなと思った。二元論にしろ三元論にしろモデルにハマらない例外ケースがないのか気になるところ。

2026-08-24, read count: 1, page: 119 ~ 130, pages read: 12

第 7 章。内容の種類についてパースの普遍的範疇で分類。パースは項を様々に関係させるには三項関係で充足すると考えた。 すべての項は三種類の項に集約される、と考えたのはパースだけでなく、ロックやヘーゲルの弁証法でも見られる。パースの普遍的範疇の説明はあまり厳密といえるものではないと考えられるため、関数型言語におけるチャーチの変換とカリー化による分解を通して三次性の本質に迫る。 カリー化で多引数関数の適用が一引数関数の多数回適用に分解される。チャーチの変換で再帰関数が不動点関数とそれ以外の非再帰部分に分解される。カリー化とチャーチの変換はプログラムの表示的意味を保つ変換。 再帰的な定義に対しては単純にカリー化できないため、先ずチャーチの変換で再帰的定義を不動点関数に押し込め、それ以外はカリー化する。 そうして変換した結果の普遍的範疇をみると、一引数関数の適用 f x における単項 x が一次性、非再帰の一引数関数が二次性、不動点関数が三次性となる。三次性であるもの以外は二次性以下に分割できた。再帰に三次性の本質があると考えられる。これは記号の投機性とも関係する。 チューリング完全で知られる SKI コンビネータは項関係から普遍的範疇との関係が暗示されるが、普遍的範疇とコンビネータ理論の関係は明らかでなく、今後の課題。 パースは類似・指標・象徴より精緻な記号の分類方法を提案しており、次性の組合せで 10 種類の記号があるとするが、本章で取り扱った変換の結果がその内のどれに当たるかは、正当性を確かめようもなく得るものもないので考察を止める。 はじめチャーチの変換って言葉がよくわからんかったが不動点コンビネータを使うって話だった。次性と変換結果の対応まではわかったがその後のコンビネータ理論とパースの分類方法のところは結論がなくふわっとしてわからなかった。

2026-08-25, read count: 1, page: 131 ~ 150, pages read: 20

第 8 章。ある対象が是態(そのものであることの所以、他の個物と異ならせる様態)を持つ条件について。 プログラムのほとんどは、モデル化で得られたある集合≒クラス≒普遍の要素に対し抽象的に処理が記述され、実際の計算はクラスから生成されたインスタンス≒個物で行われる。 この計算の工程に於いて、大まかに、モデル化が帰納・計算が演繹に対応するが、インスタンス生成はその間の何か。 なぜある 1 つがそのインスタンスとして選ばれるのかは、帰納・演繹だけでは説明できない。その個別性を是態として問題にする。 普遍と個物の対比はギリシャ時代のイデア論に遡り、普遍論争に引き継がれ、普遍の所在が問われた。 この普遍に対する追求の過程で、帰納や演繹など推論の枠組みが確立され、科学的方法の基礎となった。 個物の是態は、古くは再生産不可能な唯一性によって基礎づけられた。ベンヤミンのアウラもそのような唯一性と関係する。 しかし技術の進歩によって時間的・空間的な希少性を普遍化することが可能になり、それらを基盤として生成される個物は技術上もはや唯一無二たり得ない。 唯一性がなくても是態を持つということはどういうことか、それを知る手がかりはインスタンスを得るプロセスに求められるだろう。 この章哲学側にすごく振れてる。よってここでのクラス・インスタンスは、 OOP 固有の概念というより、普遍・個物に対応する語として読んだ。難しい。 言葉が難しいので調べながらメモってて中々読み進められない。

2026-08-26, read count: 1, page: 151 ~ 158, pages read: 8

第 8 章の続き。再生産可能なインスタンスに是態を復旧する方法として、最適化とインタラクションを考える。 最適化では評価関数による探索から最適なインスタンスを選ぶ。ただし探索自体や評価関数の獲得は自明でなく、自然から得た大量のデータを「自然の鏡」とする評価関数も用いられる。 昨今ではあらゆる合成に於いて使われるものであり、ベンヤミンは再生産可能性が増して人間が自然から遠ざかり始めたことを指摘している。 インタラクションでは、ユーザが「今ここ」で選ぶことによりインスタンスに是態が与えられる。ユーザとシステムの評価を折衷する方法が適応であり、インタラクションと「自然の鏡」を折衷する特殊なケース。 いずれも評価結果をもとに次の入力を決める反復であり、本書はこれを不動点を求める再帰的プロセスとして捉え、是態をクラス中の不動点に対応づける。 この是態を持つインスタンスがどのようなものかが 8.5 節から書かれてるが難しすぎて全くわからなかった。クラスとインスタンスの二元的対置の脱構築的な融合点にあるらしい。 普遍的範疇・次性・退化に加え、帰納・演繹に加えて仮説推論、デリダの脱構築も合流して、ちんぷんかんぷんになった。

2026-08-27, read count: 1, page: 159 ~ 168, pages read: 10

第 9 章。機械(プログラミング言語・情報記号)と人間(自然言語)の記号系の異なりを再帰の観点から論じる。 情報記号と自然言語のどちらも、未確定の内容を指示するため記号を投機的に導入できるため、再帰は本来的な性質である。情報記号と自然言語の差は、再帰を解釈する仕方の差に原因の一端があると考えらえる。 というところで時間切れ。 4 章のおさらいと書いてた通りで、新たに出たのは問題定義だけ。

2026-08-28, read count: 1, page: 169 ~ 176, pages read: 8

第 9 章。自然言語はその内容を確定しないまま投機的に記号を導入することができる。具体的な内容は定義や使用を重ねることで再帰的に意味を規定してゆく。そのため、自然言語は記号系全体が再帰系となる。 記号が他の記号から参照されることで記号系全体に関与する。このような記号系を構造的であるという。ソシュールの構造主義に端緒がある。 情報記号は停止性問題により、記号の再帰を不動点関数に押し込める必要があるため、記号系全体が再帰系にならない。 小さな構成をボトムアップで積み重ねて大きな構成が複合的に作られる記号系を構成的であるという。 構成的という用語は、ブラウワーの直観主義的論理学における構成的証明の考え方に由来する。対象は構成可能で、明示的に見いだせるものでなければならないと考える。 構造的な系にいる人間が構成的な系に従うことを強要されるのが、コンピュータを使いにくいと感じる原因の一端であると考えられる。 曖昧さを許容できるかどうかが、表現上の性質ではなく記号系そのものの構造に由来するというのは考えたことがなかったな。

2026-08-29, read count: 1, page: 177 ~ 186, pages read: 10

第 10 章。記号の外界との関わり。参照透明性(参照透過性)と時間。インタラクションはプログラムに予測不能性を持ち込む。 現代のコンピュータは状態遷移機械。実行順序に依存し、ふるまいの検証を難しくする。これは識別子が恣意的で必然性がなく値が定まらないこととも関係する。 参照透明性はそのような曖昧さを解消しうる。制約により記号の必要が明らかにされ、実行順序に依存しなくなり、自動変換の可能性が生まれる。 しかし実際には副作用が発生しうる。ワドラーはプログラムを含む環境を抽象的に「世界」と表した。インタラクションは外界との関わり。 副作用を参照透過性にする方法として、値が変化する記号だけを使い捨てるダイアローグ方式と、世界自体を使い捨てにするモナド方式がある。 いずれも文や式そのものの実行順序への依存をなくす。ただしこれは、 1 つの識別子が示していた一連の値変化を、時間に沿った順序構造として置き換えたに過ぎない。 参照透明性の制約は、⊥(ボトム)から値への変化の時間的な側面を可能な限り空間的なものへと変換するものであるといえる。 細部を拾いきれず、後半は置いてかれてしまったが、プログラムの宣言的な記述の根底に時間的側面を空間的側面に変換して予測可能性を高めるという考え方があるんだなというのはわかった。

2026-08-30, read count: 1, page: 187 ~ 206, pages read: 20

第 11 章。記号系自体の再帰。自然発生的な記号系の再帰性については古くからあり、著名なものとしてクワインの思想が挙げられる。一方情報記号は停止性問題から再帰と相性が良くないものの、記述力が高いものは再帰性を持つ。 ホモアイコニシティ(homoiconicity)とその代表である Lisp 。他の言語も究極的には 0 と 1 のビット列であることから今日のコンピュータはホモアイコニックである(この表現はちょっと疑問がある)。 言語系は言語を用いて構築される記号系。開かれた系と閉じられた系、外部からどのように解釈されるかを知れるか否か。 言語系の再帰性の種類は、非再帰的、有限固定再帰的、無限に再帰的と分けられる。再帰的な言語システムは自身が解釈可能な出力をする。例えばプリプロセス言語や、クワインプログラム。 情報記号系の再帰性。ある言語のコンパイラ自身もある言語から記述され再帰的に拡張していく。動的にプログラムを変更するメタ言語といった例もある。 情報記号系の系の再帰性。複数のコンピュータ・システムが関わる中でも、メタプログラミング・パラメータの適応的変化といった再帰性を用いた拡張が考えられる。 クワインが人名なのを知らなかった。 この章は、それまで記号単体について論じてきた再帰性を、記号系・さらに記号系からなる系へと一般化する章と読んだ。 再帰性を記号の普遍的性質とする前章までの議論から比較的自然に導けるため、新たな原理というよりその具体化・スケールアップという印象が強い。 マクロやメタプログラミング、システム間通信など馴染みのある例に落ちてくる一方、システムそのものへの掘り下げは粗く感じた。 情報記号の再帰性は、停止性問題や安全性といった問題があり、その途上にあるというのもなんとなくわかった。昨今の Loop engineering でも似たような点は変わってないな。

2026-08-31, read count: 1, page: 207 ~ 226, pages read: 20

第 12 章 ~ 本書の終わりまで。記号における再帰とは何か。記号が投機的媒体である点は、自然言語とプログラミング言語も同じ。 これらは記号としてはほぼ同様の性質を持つが、再帰性が、計算機が再帰を扱う際の制約によって違いを生む一端となっていた。 本書はコレで終わり。壮大な本だった。全部は取れなかったが、かなり面白かった。 計算機科学寄りの章は比較的理解できたが、哲学的な章はかなり難しかった。両方の分野を取りこぼさず読むには力量が足りなかったな。 著者の他の本も読みたいが、いったんは難しい本を連続せず、少し間を置いてから挑戦しようと思う。

2026-09-01, read count: 1, page: 227 ~ 261, pages read: 35

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